知る - 初島の文学

与謝野晶子 『初島紀行』

明治から昭和初期にかけて活躍した歌人与謝野晶子が大正10年に初島を訪れ、その様子を紀行文に残しました。

昨夜からの突然な思ひ立出で、三里先きの海上にある初島を觀に行かうと決めたのです。忙しい中から僅かの暇を無理やりに作つて東京を離れたのさへ氣紛れであるのに、行く人の稀な島へ特に船を雇つて出掛けると云ふのは、我れながら醉興なことだと思ひました。私達の境遇では到底人並に呑氣な生活は出來ないのですから、ときどき突發的にかう云ふ醉興をして百忙の中の一間を偸(ぬす)み、呑氣らしさを摸(ま)ねることに由つて、纔に境遇の壓迫からほんの束の間だけ生命の解放を計るのです。

~中略~
温暖な氣候と日光との中に、滿山の椿と水仙とを目にした實感は猶武陵桃源の趣がありました。午後二時半に島を辭しようとすると、區長さんが島人を代表して澤山の蠑螺を返禮に贈つて下さいました。歸りの船は午後五時前に伊豆山の相模屋の裏手の磯へ着きました。
歸つてから、良人は初島の歌を澤山に作りました。

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与謝野晶子(よさの あきこ)
明治11年12月7日~昭和17年5月29日
大阪府堺市出身の歌人で夫は与謝野鉄幹。
既存の枠にとらわれない自由で情熱的な作風で知られ、女性の自我や性愛をおおらかに詠った歌集『乱れ髪』(明治34年)、旅順攻防戦に出征していた弟を嘆いて作られた歌集『君死にたまうことなかれ』(明治37年)が有名。

林芙美子『うず潮』

林芙美子が書いた小説『うず潮』は主人公が初島から熱海港の夜景を見るシーンで締めくくられます。

路地の細い道を抜けるとすぐ海に出る。昏(くら)い海の向こうに、ちらちらと熱海の不夜城の灯がたなびいて、明滅していた。

~中略~
島は森閑と無人島のような静寂。昏い。
向こうの、きらめく燈火の下には、それぞれの人の世があり、悲劇や喜劇が演じられているのであろう……。
来の宮の沖合いには、いか釣り船の明るい灯が二つゆるく流れていた。水の面は黒檀に染まり月光が照りかえっている。

~中略~
熱海の灯が、光の霧を噴いている。千代子は息を殺してじいっと夜の海を見つめた。私はいったい何を
恐れていたのだろうか……月の光を溶かしてうず潮は昏く流れている。速度も見えぬながら、只、海鳴
りの音を立てて、はてもなく、うず潮は流れているのだ……。

林芙美子
明治36年12月31日~昭和26年6月28日
山口県下関生まれの小説家。
代表作に映画化もされた『放浪記』『浮雲』がある。自らの貧しい生い立ちや流浪の実体験に基づいた作風。
花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりきの言葉で有名。
小説『うず潮』は1964年にNHK朝の連続テレビ小説でドラマ化された。

源実朝歌碑

箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波のよる見ゆ 実朝が二所詣(※)で箱根をこえて伊豆山に来た際に、十国峠から海を見ると初島に波がよっているのに感動してこの短歌を作りました。十国峠と初島港に碑文が残っています。
※二所詣とは将軍をはじめとする幕府の有力者が箱根権現と伊豆山権現の二カ所に正式に参詣する行事のこと。頼朝は源氏と平氏の戦いのときに、伊豆山権現に妻の政子や乳母をかくまってもらいました。

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